【2016年1月31日】

弘前~碇ヶ関~五所川原~青森~札幌


ホテルでゆっくり寝た翌朝は良い天気。
今日は「碇ヶ関」(平川市いかりがせき)に向かいます。
「なぜ、碇ヶ関へ」って?
私の住む北海道にも「山越内関所」というのが現・八雲町にあったらしいが、基本的に北海道人には「関所」というのは、時代劇の中にあるもので、史跡自体にも馴染みがない。だからこそ、かつて「関所」があった町へ行ってみたかったというところ。
また、私の知人がかつて碇ヶ関村(当時)に出向しており、「良いところだよ~♪」と聞いていたのでね。


弘前駅のとなりのホームには、豪華なリゾート列車「リゾートしらがみ」が停車中。
いつか乗ってみたいぞ。
それを横目に、大館行きの普通列車に乗ります。 


弘前市街を抜けると車窓は山あいの農村地帯。雪も深くなり「碇ヶ関」が近づいてきました。


碇ヶ関駅に着きました。


改札口は「関所~♪」


昔ながらの木造駅舎。山あいの里の駅はこういう感じがしっくりとくるな。


碇ヶ関御関所跡は、山奥の山道沿いにあったのだが、現在は「道の駅」に移設されている。
こういものは本来の場所にあったほうが、感じるものが多いのだが。ちょっと残念な感じ。

古懸山不動院国上寺へ


碇ヶ関の滞在予定時間は約3時間。 
この町には「古懸山不動院国上寺」という古くからの信仰の場があるらしい。
徒歩40分との説明があるが、歩いて行く人なんていないのだろう、道の駅で聞いても要領を得ない。
まぁ、ひとまず行ってみよう!!
「不動橋」って書いてあるから道は間違いなさそう。


碇ヶ関は古くからの温泉町でもある。
お湯が流れ込む川は、他より水温が高いのだろう。
昨日の大鰐温泉と同様に白鳥が羽を休めている河原は賑やかな鳴き声が響いている。


杉林を抜ける坂道をてくてく登っていく。
この先にはどんな集落が広がっているのだろう。
好奇心が足を動かす。   


道端には花が供えられたお地蔵様。
地域の信仰のよりどころとして大切にされている光景が雪景色の中にとても鮮やかに写った。


坂道を登り切ると古懸の集落が広がっていました。
半鐘のある「火の見やぐら」。こういう光景にひかれてしまいます。


てくてく進むと、古い佇まいの商店がありました。食料品から洋服まであるようです。
北海道にはない光景に出会えることに、てくてく歩く旅の醍醐味を感じます。


鎮守の森に向かって歩いて行くと薬師堂がありました。
まずは、しっかりとお参りします。


そして鳥居をくぐると幽玄な空気が漂います。


鳥居の柱には「製炭組合」の文字が。
かつてはこの山にも沢山の炭窯があり、炭焼きの煙が立ち上っていたんだろうな。
そんな暮らしの信仰心のよりどころとして、大切にされてきた場所なのでしょう。


古懸不動尊では、鈴を鳴らしてお参り。
心地よい日差しの下、参拝者は私だけ。
善行をしているかのような気分に陶酔?


古懸不動尊の創建は、建長6年(1258)に時の執権北条時頼が古懸に不動明王像を移したことに始まり、歴代鎌倉将軍家の祈願所として庇護されてきたそうです。


不浪寄(なみよせ)八幡宮。
山の中でなぜ「波を寄せない」なのか不思議に感じたのだが、どうやら「山津波」を指すようだ。
解説によると「人皇三十代敏達天皇の御代(572~585年)、津軽郡全体が大規模な山津波(白鬚水)の発生により海のようになった際、八幡宮の霊験により被害を最小限で食い止めたことで不浪寄八幡宮と呼ばれるようになった」と伝えられているとのこと。
寺社の建立には、こういう地域の歴史などがあり、それが神話であれ、実話であれ、いつも興味深い。


懐の小銭を賽銭に使い果たした(笑)ので、そろそろ山を下りようか。
道端には「お前、だれにゃ?」って、ニャンコが何匹もいました。


碇ヶ関の駅に戻ってきました。
かつては、長編成の「寝台特急あけぼの」も停車した駅だけに、ホームがすごく長い駅です。


待合室にはストーブを囲むように木のいすがならべられていました。
きっと地域の皆さんが列車を待つ時に、おしゃべりしているんだろうな。 

旅の最後は、スルメと日本酒だな。  


碇ヶ関で歩き回った3時間を振り返りながら、「夏に来たらどんなところなんだろうな?」と思いをはせる。
さて、ホームに下り列車が入ってきた。少し北へ戻ろうか。


まっすぐ青森へは向かわず、なぜか川部駅で五能線に乗り換え(笑)。 


やってきました五所川原駅。


スルメと酒のニオイに誘われて、JRのホームを抜け跨線橋を渡ると「心に響く風景との出会い」へ。  


また乗りに来たよ。津軽鉄道の「ストーブ列車」。


機関車は2輌しか製造されなかった希少なDD35。


昭和34年、新潟鐵工所(現・新潟トランシス)で作られました。 


津軽鉄道は行き止まりのため終点の「津軽中里駅」では、列車が折り返すために、機関車を列車編成の先頭部から最後部へ、切り離して転線することにより付け替える(前方から後方へ移動させる)「機回し」作業が見られます。


ここで足回りに注目すると、蒸気機関車のようなロッドが。
前後の動輪に対し動力を連結棒で伝える「ロッド駆動式」なんです!


感激するほど「なつかしい香り」が漂う客車オハフ33。
私が中学生の頃によく乗った夜行列車がこのタイプ。
津軽鉄道では未だ現役。頑張れ~!!


かつての国鉄から譲渡された車輌です。
昭和34年製だから、半世紀以上も走り続けているわけだ。


車内の部品一つ一つを写真に撮りたいくらい懐かしさと興味が尽きない客車です。 


発車前の車輌の室温は15度。
これが、石炭ストーブが真っ赤に燃え出すと、温かくなるんだな。


車内には「だるまストーブ」が2つ設置されています。
今となってはほとんど見かけることがなくなった石炭ストーブですが、私の幼稚園から高校までの校舎はずーっと石炭ストーブでした。
石炭運びも懐かしい思い出。


車掌さんが石炭をくべて、発車の準備。  


こちらも準備(?)万端^^v


津軽鉄道のアテンダントさんに石炭ストーブの上でスルメを焼いてもらいます。
たまらない!^^!香りが車内に広がります。


今日はアテンダントさんが3名乗車。
気さくに話しかけてくれるアテンダントさんとの会話も、この列車の楽しみの1つです。
ほろ酔い気分で津軽五所川原~津軽中里を往復し、ストーブ列車の風情とスルメとストーブ酒を堪能しました。
津軽五所川原で列車を降りると北へ帰る時間が近づいてきて、寂しい気分。

そろそろ北へ帰るよ。


五所川原からJR五能線で川部駅へ。 


川部駅でJR奥羽本線に乗り換えて青森駅へ。


青森駅は風雪強く。
「津軽海峡冬景色♪」が頭の中で流れ出す。  


 札幌へ帰る「急行はまなす」の発車までは約4時間。
「青森まちなかおんせん」で温泉につかって、過ごします。


お風呂から上がったら、青森名物「生姜味噌おでん」なんかをつまみに晩酌です。
温泉の休憩所内を見回すと、いかにも「はまなす」で帰りそうな人たちが(笑)。

これで「さようなら」かな。夜行急行はまなす


そろそろ「急行はまなす」が入線してくる時間。
ホームに立とうかな。


DE10に牽かれた「急行はまなす」が入線してきました。


「北へ帰る列車」と思うと、なぜか寂しく思える光景。


冬の北海道を満喫しようというっていう雰囲気の乗客もたくさん集まってきました。


ヘッドマークをつけたED79の前には、いつもながら警備員に囲まれた(笑)撮影の順番待ちの列が。
ずいぶん待って、やっとそれなりの構図が取れる瞬間が。


さてと、B寝台車へ行きますか。  


行きは上段でしたが、帰りは下段が取れました。
席についてホッとすると、ED79の甲高い汽笛が響き渡り、客車列車特有のガタンという衝撃に続き、ゆっくりと車窓が流れ出す。


室内灯の「減灯」を知らせる車内放送が終わり、寝台車が静まりかえると、いつものように通路の補助席で微睡む夜更け。
遠くに流れていく街の灯をぼんやり。 


そして、自分の席に戻り、青森の日本酒をちびちびと飲みながら、今回の旅を振り返る。
夜行列車の旅はこれで最後かな…と思うと、なかなか眠る気にもなれず。
青函トンネルを抜け、函館に着く頃まで、夜汽車の感慨にふけっていました。
さて、次に目が覚める時は北を走る最後の夜行列車「急行はまなす」ともお別れかな。
ラストランまであと2ヶ月弱。
さあ、どうする(笑)。