【2016年3月13日】

鶴岡~余目~新庄~十文字~秋田~八郎潟~青森~札幌

陸羽西線で最上川を遡る


北へ帰る日がやってきた。
今朝も良い天気だ。青春18きっぷを手に、鶴岡駅9時発の酒田行き823Dで羽越本線と陸羽西線の分岐点「余目駅」へ。道中の車窓に広がる山の景色が美しい。


15分ほどで余目駅到着。


余目駅では45分ほど乗り換え時間があるので、ちょっとお散歩に。 


駅前通を歩いて行くと八幡神社があり、本殿の横には小さな祠があった。


町並みは市街化されていても、歴史ある神社には、その街の原風景が残っているんじゃないかなといつも思う。 


余目駅10時3分発、新庄行き156Dに乗り換え。
羽越本線から分かれて、陸羽西線を走ります。


クロスシートの車窓には田んぼが広がります。


陸羽西線(りくうさいせん)は、山形県新庄市の新庄駅から山形県東田川郡庄内町の余目駅までを結んでいます。


山間のトンネルをいくつも抜けながら。


陸羽西線には「奥の細道最上川ライン」の愛称が付けられており、その名の通り、路線の大部分は最上川沿いを走ります。


だんだん雪深くなってきた。
もうすぐ新庄駅。 

奥羽本線に乗り換えて北上


新庄駅からは新幹線に乗り換えて・・・ってのはウソ。
青春18きっぷは普通列車しか乗れません。
桜が飾られた新幹線ホームには東京行きの新幹線「つばさ」が発車を待っていました。


新幹線とローカル線が同居する新庄駅。


待合室で軽くお弁当を食べて。
さて、新幹線じゃなくて、私が乗るのはこっちの11時19分発、秋田行き2441M。
また、ロングシートの列車で修行(笑)が始まります。
札幌まであと815キロ^^;  


「次は真室川♪」っていう車内放送に窓辺を見ると、「真室川音頭発祥の地」ののぼりが立っていました。
盆踊りで必ず流れているこの音頭。真室川ってここを流れていたんですね^^;


1時間ほど電車に揺られて、十文字っていう駅で降りました。
ここは飲み仲間の出身地。
どんな町なのかちょっと見ておきたかったのです^^  


どうやら「釣りキチ三平」の作者の出身地らしいです。


十文字駅。  


次の列車は90分後。
駅前通をてくてく歩いて、飲み仲間(笑)の実家があるという方へ。 


市街地を抜ける広大な雪原が広がる田んぼ地帯。
飲み仲間は、このあたりで鳥海山を見て育ったらしい。
夏の景色も見てみたいなって思いました。


さて、かなり遠くまで歩いてきたので、あまりのんびりしてもいられない。十文字駅に向かって急ぎ足で戻ります。
途中、十文字神社でお参り。


お寺の前には、ありがたい言葉が掲げられ。
しばし物思いにふける(笑)


14時7分発の秋田行き2443Mに乗車。札幌まであと745.8キロ^^;


1時間半ほど電車に揺られて秋田駅到着。


秋田駅では乗り換え時間が約30分ほど。


駅前のバスターミナルは、秋田スギ!
2014年のグッドデザイン賞を受賞しているもの。


当時写真で見て、これは素晴らしいって思っていたので。
今回の旅で偶然にも見られました。


忙しく駅弁も購入。
でもロングシートの電車では食べにくい^^;
ということで・・・。


16時発の八郎潟行き
2633Mに乗って八郎潟駅へ。


外は雨模様になってきました。 


16時37分、八郎潟駅到着。


八郎潟駅前はこんな感じ。  


八郎潟は、子どもの頃よく読んでもらった絵本「八郎」のモデルになった町。
駅前の壁画は八郎潟町伝統芸能の願人踊りと、県内3大盆踊りの一日市盆踊りが描かれています。 


さて、待合室で秋田で買った駅弁をいただきま~す。 


17時3分の青森行き679Mに乗ります。
札幌まであと636.1キロ。


弘前駅では18分停車。
ホームでちょっとストレッチ^^
となりの五能線のキハ・・・乗りたいぞ。  


やっと青森駅へ戻ってきました~。
体痛い^^;


急行はまなすの発車時間まではだいぶあるので、いつもの「青森まちなかおんせん」へむかいます。
薄暗いアーケード街をてくてくと。  


さぁ、温泉入って、各駅停車旅の疲れを取るぞ~。


お風呂上がりの至福の一杯。


青森名物「生姜味噌おでん」も注文して、ゆっくり過ごします。
こうやって夜行列車を待つのもこれで最後なんだなと思うと、名残惜しく、もう一杯ビールを注文。

これで本当に乗り納め~急行はまなす「最後の旅」


そろそろ、北海道へつながる青森駅3番ホームに急行はまなすが入線する時間。
改札くぐって出迎えようか^^


青函トンネル専用のED79も、北海道新幹線が開通すると退役かな。


この勇姿も記録しておかなきゃ。この勇姿も記録しておかなきゃ。


年季が入った真っ赤な車体。
昭和50年にED75として製造され、昭和62年に青函トンネル用の特別仕様に改造されてED79となった。もう40年以上走り続けている。青函トンネルをいったい何回駆け抜けたのだろうか。
青函トンネルが新幹線専用になると、もう二度とくぐることはない。あと一週間、無事に頑張ってほしい。


発車の時間は刻一刻と迫ってくる。
青森駅での急行はまなすの勇姿、急いで撮り終えなくては。 


青函連絡船時代から続くこの長いホーム。
青函トンネルの開通後は、連絡船の役割を担う列車の発着場所。
そして、その役割も間もなく終える。


そろそろ乗り込もうか。
帰りの車輌は2号車B寝台。


一夜限りの自分だけの指定席へ。 


2号車はオハネ24。


ブルーの車体に金ライン、三つ星マークがならんだB寝台車。
ほんのり温かな光が漏れる車内へ。


私の寝台は2号車、6番下段。


きれいにセッティングされた寝台車も見納めです。


下段が私の指定席。 


機関車特有の甲高い汽笛とともに、私にとっての急行はまなす「最後の旅」が動き出した。
ラストランまであと一週間。いつもより夜更けの車窓に寄り添う旅人が多い。
過ぎゆく夜、ゆっくり、しみじみと青森のお酒を飲む。


夜もだいぶ更けてきた。
自分の寝台に戻って、車窓を流れる青函トンネルの灯をずーっと眺めていました。
いつまでも起きていたい、この微睡みの時間。
目を閉じるとこの希有な時空は終わるんだよな。