【2021年8月14日】

阿寒丹頂の里 自然休暇村野営場(釧路市)へ 


テントキャンプの朝は早い。普段は朝寝坊の私でも、5時半には眩しくて起きちゃう(笑)


今日も1日たっぷり走るから、ガッチリ食べておかないと。


早起きのライダーはどんどん出発。何か海側の視界が開けてきたから、海を見ながらのんびり過ごそうか・・・という誘惑を振り切って撤収、出発!!


今日は大樹町の旭浜に連なる戦争遺構と旧国鉄白糠線の遺構を巡ってから釧路市へ向かいます。


大樹町の町有林の中を旭浜のトーチカ群へむかって走ります。


トーチカとはコンクリート製の防衛用陣地。太平洋戦争末期のアメリカ軍の本土上陸を迎え撃つために作られたトーチカが、大樹町の内陸部と海岸線に確認されているだけで15基あるそうです。


このトーチカは戦後60年以上発見されず、大樹町の町有林の中にひっそりと眠っていたものだそうだ。



トーチカには銃眼があり、ここから見張り、アメリカ軍が上陸してきたら銃で迎え撃つつもりだったのか。

でも、終戦直前の帝国陸軍には撃つ弾すらなかったかも、いや、それ以前に艦砲射撃の一撃で終了・・・だったのでは。

実際に使われることなく終戦をむかえたそうなので、無駄な犠牲を出さずに済んだのかもしれない。

もし、実際に使われていたら、兵士達はどんな気持ちでこの穴から海を眺めていたのだろう。

そんなことをふと考えたら、外界?から穴の奥をのぞき込むのが怖くなった。

英霊がこっちを見ているようで。






続いて大樹町の旭浜の海岸線に連なるトーチカを探しに、海へ続く森の中を走ります。


戦後76年・・・太平洋の波風に耐えて、その重苦しい時代を我々に伝えるかのようなコンクリートの塊。



潮騒の轟音を聞きながら砂浜を歩く。

大樹町の旭浜にはトーチカが延々と続きます。




砂浜にたたずんで思いを馳せるにはテーマが重すぎる。

先は長い・・・広大な原野と牧草地を走るコースへ戻ろう。



広大な原野を渡る風を感じながら独り走り、白糠町へ。



白糠町にはかつて国鉄「白糠線」が走り、昭和58年(1983)に廃止されました。

廃止から約40年を経て、駅などの遺構はほとんど残っていないようですが、上茶路(かみちゃろ)駅は自然に飲み込まれながらもホームなどが残っているらしいので、訪ねてみました。

すっかり無人郷となった集落の中にあるので、本当にたどり着けるのか不安になりましたが、道道標識があるからこの先で間違いないはず。






道道の立派な標識とは裏腹に廃道寸前・・・ヒグマ出てこないでよ(;゜ロ゜)・・・恐る恐る進みます。



上茶路駅跡ありました!

すっかり自然に飲み込まれた姿に、古代遺跡を発見したかのような興奮を覚えます。




ホームの屋根と駅名のフレーム。今は森となったこの場所には確かに人々の暮らしがあった。

 




二度と列車が走ることない線路、そして誰も降り立つことのないホーム。

森の奥深くへ今も続く線路に、誰もいない夜更けには幻の列車が人知れず走っているのでは・・・そんな妄想が頭に浮かびます。




今度ここを訪れるときがあったら、この駅跡を見つけることができるだろうか。

人々の暮らしがあった場所も無人郷となるといつしか自然に還っていく。

そしてその歴史も人々の記憶から消えていく。

その端境の時間の中に降り立ち、不思議な気分にひたった、ひとときでした。

 




茶路川を渡る旧白糠線の橋梁は40年の時を経てもしっかりと立ち、傾きかけた陽の光の中、今も列車が走り続けているかのような錯覚。

このコンクリート橋も長い時間をかけて、いずれ古代遺跡のような姿に変わっていくんだろうな。




トーチカと鉄路の跡を前に色々考えていたらすっかり夕方になってしまった。

これから釧路市を抜けて先へ走るには時間が足りない。

無理せず今夜は、現在は合併して釧路市の一部となった旧阿寒町地区にある「阿寒丹頂の里 自然休暇村野営場」に泊まることにしました。

 


テントを張り終えたら、キャンプ場に隣接するサイクリングターミナルにある「丹頂の里温泉」へ。




温泉にたっぷり浸かって、1日の疲れを癒やしたら、楽しいビールの時間。

今日は到着が遅くなったので、塩ホルモン焼いて、カクテキをバリバリしながら、ガッチリ冷えたパームビール\(^o^)/



これも手抜きでセイコーマートの焼きうどんをフライパンでジューッと。



ビールを何缶か空けたら、もうウトウト。

ファミリー向けキャンプ場ならではの子ども達が夜遅くまではしゃぐ声も、秋虫の鳴き声とすっかり同化。

今日一日を振り返っていたら、急に意識が遠のいて、お休みなさい。

明日は厚岸を通って浜中町まで走る予定です。