新緑が眩しい5月、いつもの場所に集合! [軽バンライフ]
【2023年5月20日】
山あいの農村公園にあるキャンプ場
天気の良い週末、いつもの公園に集合!
みんなが来るのは夕方頃かな。
それまでこののどかな時間を独り占めにします。
青空に乾杯( *´∀` )bイイネ!!
すっきり広々なエブリイ(^^)v
今回はポータブル電源と冷蔵庫くらいでシンプルに。
2人目が到着したので、ウドの酢味噌和え、ホッケスティックなんかをつまんで一次会です。
陽が傾いた頃、みんなそろったので本祭り開始です。
美味いビーフシチュー、ビールが進みます!!
今夜のメインはニラとモツたっぷりのチリトリ鍋です。
夜が更けるとアヒージョなんかつまみながら美味しい洋酒の時間。眠くなるまで~。
【2023年5月21日】
夜半から降り始めた雨は未だ止まず。
苦いコーヒーで胃を刺激しながら、ご飯と味噌汁作ります。
今朝はキノコご飯にしました。
このあとも、なかなか雨は上がらないから、みんなでカッパ着て長年のチームワークで一気に片付けて撤収しました。
久しぶりのメンバーが集まっての今春1回目のオフ会でした。
次は天気のいい日にフルメンバーで盛り上がりたいですね。
奥の細道を訪ねて~北陸車中泊の旅(8日目) [軽バンライフ]
【2023年5月5日】
輪島朝市~千里浜~近江町市場~金沢城~道の駅こまつ木場潟
北陸旅8日目の朝も良い天気。早速、輪島の朝市へ朝ご飯の調達に向かいます。
美味しそうな、蒸したてまんじゅうに捕まりました(笑)
輪島の市の始まりは、奈良時代後期か平安時代はじめ頃(西暦800年前後ごろ)に鳳至(ふげし)郡(輪島を含む能登地方にあった郡)の鳳至比古神社(ふげしひこじんじゃ)の祭礼日に、大斎地(おおいつきどころ=神の御霊を祀るために清めた場所)に生産物を持ち寄って物々交換し合っていたのが起源と言われています。
現在では輪島の朝市はいわゆる「生活市」から「観光市」へと変化していますが、通りに連なるテントの下に、今朝上がった魚、採れ立ての野菜や山菜、素朴な手作り炊き込みご飯や総菜類が並んでいる光景は演出ではなく、この街の皆さんの暮らしぶりを感じさせてくれる本物です。
朝ご飯に、タケノコご飯、とろろ昆布おにぎり、漬け物を買いました。
どんな店があるのかな~と奥までのんびり歩きました。
いいにおいが漂ってくる店先。
ついつい買ってしまいました。自分でコンロで炙って食べるのが美味い!!
朝市を一回りして観光客気分を味わったら、戦利品を並べてエブリイに戻って朝ご飯です。
さて、輪島を出発します。
今日はSSTRのゴールでもある千里浜なぎさのドライブウェイを走り、金沢に出て、コマツ市まで行く予定です。
輪島の美しい海岸線を走ります。
ちょっと内陸に入ると背後に立派な森を従えたお屋敷と田んぼの風景が広がります。
道の駅 赤神にある、独オタ女子アッキーさん作のイラスト看板を拝む(笑)
輪島市はライダー歓迎の都市(まち)だったんですね!
次回はバイクで来なきゃね。
この辺の海は紅ズワイガニの産地。
普通のスーパーでごく普通にたくさん売ってる!!
そして、みなさんごく自然体で買っていく。
北海道の毛ガニでは絶対無理だけど、ここではズワイガニが日常の食卓に上がるんだな~。
新鮮な「生」しか売ってないので、カニを茹でられる大きさの鍋を積んでこなかったのが悔やまれます。
次回、こっちに来るときは大鍋が必須です。
「千里浜」キタ―――(゚∀゚)―――― !!
気分はゴールインするラリードライバー(笑)
ライダーの聖地「SSTR(サンライズ・サンセット・ツーリング・ラリー)のゴール」地点でもある、羽咋市の千里浜なぎさのドライブウェイは、なんと大型バスでも普通車でもバイクでも普通に走行可能な不思議な砂浜です。
その秘密は、砂の大きさにあり、千里浜の砂は一粒ひとつぶが約0.2ミリメートル。
同じ大きさのきめ細かい砂が海水を含み、固く引き締まることから、クルマが埋まることなく走れるんだそうです。
金沢までやってきました。
久しぶりの都会です。エブリイを駐車場に入れて市街地散歩しながら、晩酌のつまみを探しに近江町市場(おうみちょういちば)へ。
この市場は主に生鮮食品などの食品と生活雑貨を扱う小売店や飲食店など約170軒が商店街を形成しています。
その起源は江戸時代の享保6年(1721年)に始まり、金沢を城下町としていた加賀藩の御膳所だったそうです。
美味そうな魚介類がいっぱいあってワクワクしながら歩いていたら、ごったがえず観光客のスマホから一斉に「緊急地震速報」が響き渡りました∑ヾ(;゚□゚)ノギャアアーー!!
周囲を確認し、大慌てで安全そうな場所へ待避!!
相当大きな揺れに感じましたが、金沢市は震度4とのことでまわりに被害は見受けられませんでしたε-(´∀`*)ホッ
でもニュース速報によると、震源に近い珠洲市では震度6強、今朝まで過ごしていた輪島市でも震度5弱。
能登半島で暮らす皆さんのことがとても心配になりました。
私がこちらへ来ていることを知っている北海道の友人たちからも一斉に「なかさん大丈夫??」って心配のメッセージをいただきました。
その節はご心配おかけしました。
地震の恐怖が抜けないまま市場を抜けて、広場なら安心だろうということで金沢城の公園へ。
永年の間に何度もあった火災により築城当時のものはほぼないようですが、復元された城の規模に、戦国時代末期から江戸時代初期にこれほどのものを築いた当時の城主たちの強大な権力を感じますね。
地震のショックから今夜は浜ではなく、安全な気がする高台で開けた地形の土地にある道の駅を探して小松市まで来ました。
市街地にある源泉掛け流しの温泉でサッパリしてから道の駅こまつ木場潟へ。
ご飯が炊けるまでまずは、市場で買ってきた総菜を広げて、今夜の地ビール「金澤麦酒」で1日の無事に独り乾杯☆□\(^_^ )
ヴァイツェンはフルーティーで甘い華やかな香りで美味い!
ご飯が炊けたら、市場で買ってきたキントキダイ、ホッコクアカエビ(甘エビ)の美味しいお刺身の時間です。
ドライスタウトも期待通りのキレのある個性的な黒ビール。
深い味わいが染み渡りました。
ちょっと高めですが、旅先のクラフトビールは楽しみの一つですね。
さて、明日は実質的な旅の最終日、平泉寺、一乗谷を回って敦賀のフェリーターミナルまで走ります。
今夜は余震がありませんよ~に。
お休みなさい。
つづく
奥の細道を訪ねて~北陸車中泊の旅(7日目) [軽バンライフ]
【2023年5月4日】
道の駅氷見~田子浦藤波神社~大境洞窟住居跡~七尾城跡~輪島
氷見での朝も良い天気\(^O^)/。
沖には唐から贈られたという言い伝えのある「唐島」が浮かびます。
この背景には立山連峰があるのですが今日は微かにしか見えず残念。
氷見の道の駅には地元産のすごい魚介類がいっぱい並んでいるのですが、晩酌に食べたいものばかり!!
朝ご飯の趣旨(笑)には合わず残念。
ご飯を炊いて、味噌汁、煮染めで出発準備です。
今日のコースはこんな感じ。
本当は珠洲市まで行くはずが、途中、単調な道程に飽きてしまい(^^ゞ
ショートカットで輪島へ。(※今となっては悔やまれるところ)
【田子浦藤波神社】
田子浦藤波神社に来ました。
ここは松尾芭蕉が奥の細道の中で『・・・奈呉と云う浦に出づ 田子の藤波は春ならずとも初秋の哀れとふべきものをと人に尋ぬれば是より五里いそ伝ひしてむかふの山陰にいり蜑の苫ぶきかすかなれば蘆の一夜の宿貸す者あるまじといひおどされて加賀の国に入る・・・』記しているところ。
=本当は藤の花で有名な藤波神社や布勢の海などを見に行きたかったが「行ってもあばら屋しかなく宿を取るような家はないよ」と脅かされ後ろ髪を引かれる思いで寄らずに加賀国に向ったと=
万葉集の中で、奈良時代の公卿・歌人である大伴家持(おおとものやかもち)、田辺福麻呂(たのべのさきまろ)がこの神社の美しさを詠んでいて、芭蕉が行けなくて悔しがっていたなんて、行ってみたいじゃん!!
巨木がそびえる幽玄な参道を登って社へ。
神社の創建は平安時代初期の延暦17年(798)に大伴家持から授かった太刀を御神体として南兵衛尉信光が祀ったのが始まりと伝えられています。藤の花咲く季節に来てみたいですね。
【白山社】
石川、福井、岐阜の3県にわたり高くそびえる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。
麓に暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって、白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座だったそう。
この大境鎮座の白山社の創始年代は不詳であるが、宝暦14年(1764)の記録によれば、大境の岩屋に菊理姫明神を祀る二間四方の堂があったと記されているそうです。
【大境洞窟住居跡】
日本で最初に調査された洞窟遺跡、「大境洞窟住居跡」。富山県氷見市大境にあるこの遺跡は、国の史跡に指定されています。
奥行き35m、入り口の幅18m、高さ8m。
灘浦海岸に面し、波浪の侵食により形成された自然洞窟で、入り口の少し迫り出した崖と、その大きさに圧倒されます。
1918年、洞窟内にある白山神社の社殿を改築の際、多数の骨や土器類が出土しました。同年に本格的な調査が行われ、この調査により、縄文時代から中世に至る6層の文化層を発見。また、多数の土器や陶磁器、人骨や獣の骨が出土され、縄文文化と弥生文化の新旧が明らかになったほか、弥生人骨の抜歯の風習や顔面装飾(頭骨に赤い塗料のついたもの)に注目が集まったそうです。
【七尾城跡】
上杉謙信が「聞きしに及び候名地、賀(加賀)・越(越中)・能(能登)の金目の地形と云い、要害山海相応し、海頬島々の躰までも、絵像に写しがたき景勝までに候」(※)と絶賛したという戦国時代の巨大山城「七尾城」。
その山に登り、かつて殿様が見下ろしていたであろう風景を見て感じたくてやってきました。
※「聞きしに勝る名地で、加越能三カ国の要の地形といい、要害は山海相応し、海や島々の風情も絵にもかけない景勝である」
遊歩道を歩いて行くと森の中に石垣が見えてきた。
七尾城は、能登国鹿島郡七尾(現・石川県七尾市古城町)にあった城。
室町時代から戦国時代にかけての山城跡で、最終的には南北2.5キロメートル、東西1キロメートルにも及ぶ巨大な城だったそうです。
ここに城があったことを伝えるのに十分な迫力の石垣が続きます。
石垣の間を登り、見上げると七尾城の本丸があった場所が見えてきた。
標高約300mの頂上が本丸のあった場所。
能登半島の七尾湾の美しい景色が一望でき、日本五大山城の一つと言われているそうです。その広場に佇んで、この地を治めていた能登の殿様が見下ろしていた景色をしばし眺めていました。
本丸のあった場所には城山神社の祠がありました。
七尾城山の頂上からこの地を守護しています。
【中島漁港】
七尾城跡を発ち、七尾市内、能登島を走り、小さな峠を抜けると綺麗な漁村に出た。
石川県中島町の中島漁港は七尾北湾の入り江の奥にあり、落ち着いたたたずまいの風景にひかれました。
静かな港でしばし小休止。いい時間が流れていました。
山越えして一気に輪島へ。
夕焼けに染まる海を眺めながら温泉に~♪
と思って走ってきたのだが、連休中は日帰り入浴はやってないらしく残念。
市街地にある温泉に向かいます。
輪島港にきました。漁船の数がすごいですね。今夜の魚は期待できそう。
道の駅輪島は狭すぎて落ち着かなかったので、輪島朝市の駐車場に来ました。
1日300円で、綺麗なトイレがあり、繁華街も近いので翌日の朝市に備えて車中泊する車でいっぱいです。泊まる準備をしていたら、観光の子供たちに「すげ~!、札幌ナンバーだ!!」って言われてしまった。遠くへ来たものですwww
温泉に入ってサッパリしたら、ご飯が炊けるまで黒ビールと出店で買った焼き鳥で今夜も安着祝い。
魚を焼く用意が無いので、美味しいものはどうしても刺身になってしまいます。
甘エビ、押し寿司も買って美味しく楽しい夕食です。
今日は地ビールに恵まれなかったので「信州早生」ホップの美味いヤツ。
なんか、休暇の残りが少なくなりだんだん寂しくなってきましたが、本日も楽しく旅した1日になりました。明日は輪島の朝一で朝ご飯を食べて、金沢へ向かいます。
つづく
奥の細道を訪ねて~北陸車中泊の旅(6日目) [軽バンライフ]
【2023年5月3日】
道の駅杜氏の郷よしかわ~弁天岩~宇奈月温泉~道の駅氷見
北陸車中泊旅6日目も良い天気。
エブリイのテールゲートを開けて、尾神岳、米山、妙高連山を眺めながら、心地よい朝ご飯。
今日は日本海沿いをひた走り能登半島へ向かいます。
海岸線の岬を回るとその先にまた岬が。
潮風と磯の香りを感じながら進みます。
青空を泳ぐ鯉のぼりの群れが見えたので車を停めました。
糸魚川市能生の弁天浜にある「弁天岩」。
ここには燈台があり、能生漁港へ出入りする漁船の大切な道標として点灯しつづけています。
この岩はフォッサマグナの海底火山の噴火によってできたもので、糸魚川ジオパークのジオサイトのひとつだそうです。
橋を渡って弁天岩へ。
島の中程には海の守り神として知られる厳島神社があり、今日も安全祈願(笑)
能生港灯台は「恋する灯台プロジェクト」で選定された灯台の1つだそうです。
灯台直下の祠からは見える青い海は絶景。
夕陽も綺麗なんだろうな~。
妙高連山が綺麗に見える場所があったので一休み。
姫川を渡ると妙高連山をバックに電車が撮れるスポットがあった。
時刻表を調べると、もうすぐ電車がやってくる時間だったので、カメラを構えて待っていました。
「えちごトキメキ鉄道」の日本海ひすいライン(旧JR西の北陸本線・糸魚川駅~青海駅間)にて。
縦にとっても長~い新潟県をやっと抜けて富山県に到達。
日程に余裕があれば黒部ダム方面を探検したいところですが、今回はかなわず。
でも宇奈月温泉は味わって行きたいので黒部市から海岸線をそれて山の方へ。
陽がだいぶ傾いてきた頃に宇奈月温泉到着。
温泉街を浴衣姿でのんびり散歩する宿泊客がうらやましい。
富山地方鉄道の「本線」(電鉄富山~宇奈月温泉)の終点に到着した電車。
映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」(主演:三浦友和・余貴美子)の舞台となった鉄道。
旅の当初の予定では丸1日乗り鉄するはずだったのですが、旅程が遅れ気味なので残念ながら次回に。
「この線路の先に、きっと幸せは待っている」(映画CMより)ぜったい、じっくり乗りに来ます。
1923年(大正12年)11月、土木技師山田胖が改良した引湯管により、黒薙から熱い湯が電源開発の拠点であった宇奈月に運ばれ、宇奈月温泉が開湯してから100年だそうです。
日帰り温泉施設「湯めどころ宇奈月」の熱い温泉を堪能しました。
湯上がりに川辺で涼みながら富山地鉄の電車を待っていました。
次の旅では、このローカル色あふるた電車にたっぷり乗りたいです。
温泉街からさらに奥へ進むと「うなづき湖」。
ひっそりと静まった渓谷の中に広がるエメラルドグリーンの湖水が綺麗です。
「宇奈月温泉」といえば、学生時代にちょっと勉強した「宇奈月温泉事件」。
その現場を見に来ました。憲法記念日だし(笑)
この事件の裁判では、大審院(戦前の最高裁判所のこと)が「権利濫用」について初めて明確に判断した判決を出したことから、民法上重要な判例の一つとして日本の法学生が最初に学ぶ事件であり、「民法の聖地」として、この地を訪れる法律関係者も少なくないそうです。
だいぶ陽も傾いてきた、そろそろ山を下りないと。
普通の(?)観光客みたいに、ゆっくり温泉旅館に泊まってのんびりしてみたいな~。
夕景に照らされた山々が綺麗だったのでちょっと国道を外れてみました。
スーパーによって美味そうなものを物色し、冷蔵庫に放り込みながら、今夜の停泊地を探して走りました。
しかし、今日は憲法記念日でGWまっただ中。調べておいた道の駅の駐車場はどこも超満員。
いくつもの道の駅をパスし、21時まで走ってやっとたどり着いた「道の駅氷見」は、臨時駐車場も開放し300台を超える駐車スペースがあるのに、1台分も開いていない(ーー;)
場内をぐるぐる回り、あきらめかけた頃に「トイレ休憩」のみだった1台が出発したので、運良く滑り込むことができましたε-(´∀`*)ホッ
まわりの車はすでにお休み中なので、静かに晩ご飯の準備。
まずは、今夜の「地ビール」で独り
☆□\(^_^ )乾杯。
ささっとすり身汁を作って、ぶりの刺身と鶏の唐揚げで、夜更けの晩ご飯。
そして、「地ビール」もう1本。
ちょっと高かったけど、厳選して買った2本、とても美味かったです。
けっこうお腹もすいていたので、〆の鍋ラーメンまで(笑)
今日もたくさん走って、次の旅で行きたい場所もたくさんできました。
やりたいことだらけで、ほんと時間が足りない、足りなすぎるわ( ̄。 ̄;)
それではお休みなさい。
つづく
奥の細道を訪ねて~北陸車中泊の旅(5日目) [軽バンライフ]
【2023年5月2日】
道の駅あつみ~小名部宿~道の駅杜氏の郷よしかわ
昨日は1日がっつり歩いたから、今朝はのんびり寝坊して、日本海を眺めながら朝ご飯。
昨夜の残りご飯、たっぷり野菜を入れた塩ラーメンを味噌汁代わり、スーパーの煮染めで再起動(笑)
初日、フェリーで新潟に上陸して南下したのに、旧出羽街道歩きに好天の日を当てるために、新潟方面に逆戻りし山形県まで北上してしまったので、今日は少し距離を稼がねば。
山形に来たからには小名部宿にあるお寺に寄って先祖代々の墓参りをしなくては。
桜の咲く天龍寺に今年も来れました。
お花と旅の大事な食料をお供えしてお参りしました。
せっかく来たから、祖父の生家にも寄っていこう。
住む人も居なくなってかなり経つはずだけど、親戚の方々が守っているようです。
かつて曾祖父が炭焼きをやっていたという山の方へ。
最近、伐採されたスギの切り株の横には、きちんと新しい苗木が植えられ、すくすく育っていました。
しっかり更新されている山を見るとホッとします。
伐ったら植える、そして未来へ引き継がれる森林づくりは夢が広がります。
祖父の弟の家にも来てみました。
そばの畑にいた方に消息を聞いてみましたが、残念ながら方言がきつくて、何度も聞き返しましたが、存命らしい?(たぶん福祉施設にいる)ということ以外はほとんど分からず。
こんな光景が続く、祖父の故郷でもう少し過ごしたいけれど、先に進まねば。
来た道を戻って日本海側へ出ます。
新潟県村上市の「笹川流れ」は天然の岩牡蠣の産地で、お昼は期待していたのですが、漁期は6月から(゜▽゜*)とのことで残念。刺身定食にしました。
佐渡島を横目に日本海沿いを南下します。
粟島、佐渡島、次回の旅ではぜひ渡りたいな。
キャンプ仲間へのお土産に新潟限定ビイル「風味爽快ニシテ」を1箱買いました。
エブリイの床下、ミッドシップに積んだから走行安定性UPするかな?
米どころ新潟県、果てしなく続く田んぼの水面に映る「尾神岳」の夕景を眺めながらエブリイを走らせました。
今夜は道の駅杜氏の郷よしかわで過ごします。
昼間なら美味しい日本酒がたくさん並んでいるんだろうけど、暗くなってからたどり着いたから残念。
向かいにある長峰温泉ゆったりの郷に入ってサッパリした後は、ご飯を炊きながら地元産のズワイガニをむしゃむしゃ(笑)
今宵のビールはいつものサッポロ黒ラベルとはひと味違う「東北ホップ100%」。
ご飯が炊けたら、スーパーで仕入れてきた地元産の刺身と鶏料理で晩ご飯。
追加のビールは薫り華やぐ吟醸香アサヒのクラフト「花鳥風月」でプレミアムに(笑)
ちょっと疲れがたまってきたのか、すぐにウトウトしてきて、お休みなさい。
明日は新潟県を抜けて石川県能登半島へ向かいます。
つづく
奥の細道を訪ねて~北陸車中泊の旅(4日目) [軽バンライフ]
~芭蕉も歩いた道~旧出羽街道21キロをひたすら歩く1日!
【2023年5月1日】
道の駅朝日~小俣宿→21キロ歩く→葡萄~JR村上駅~JR勝木駅~道の駅あつみ
今日の天気は1日中晴れ\(^O^)/
丸1日歩くのだから雨にはあたりたくない。
今日はこの旅のメインテーマである芭蕉の歩いた道でもある「旧出羽街道」を自分の足で歩いて、その心に近づくこと。
去年は山形県の小名部宿から今回のスタート地点である新潟県の小俣宿まで歩いたから、今年はその続きに挑みます。
もちろん現在ではその線形は道路整備などにより大きく様変わりしていますが、今回のコースには宿場町の名残や一里塚など、かつての街道の風情が色濃く残っていて、また、最後の3キロ、朝日・山北両地区を結んだ「大沢峠」は、当時のままの山道として石畳の古道がつづいているとのこと。
21キロの山道歩きということで不安と期待が交錯しますが、張り切って出発しました。
今日1日、このマップを頼りに歩きます。
今朝は1日3本しかない路線バスに乗らなければならないので大急ぎで朝ご飯です。
今日1日のルートはこんな感じになり、歩き出すスタート地点は地図右上の出羽街道「小俣宿」です。
そこまではまず、現在いる道の駅朝日(新潟県村上市猿沢)から車でJR勝木駅へ向かい、裏の駐車場にエブリイを停めて、小俣宿へ向かう路線バスに乗ります。
そしてそこから歩き出し、今回のゴール地点である村上市蒲萄の集落へ出てくることができたら、そこから最終バスでJR村上駅まで行き、羽越本線を北上し、エブリイを停めた勝木駅まで戻る行程です。
なんとしても葡萄の集落まで、最終バスの時間までに!
これが本日のタイムリミット(゜▽゜*)
道の駅朝日~勝木駅~路線バス~小俣宿
まずはエブリイで北上し羽越本線の勝木駅へ。
勝木駅には7:30に到着。
ここから新潟交通観光バスの勝木~雷(いかずち)線の始発バスに乗って出羽街道「小俣宿」へ向かいます。
由緒正しい駅前旅館の前にあるバス停です。
なんか金田一耕助の映画のワンシーンのようだな(笑)なんて考えながらバスを待ちます。
7:57の始発バスが来ました。乗客は私だけ(゜▽゜*)
雷(いかずち)行き。
途中の府屋では時間調整で15分ほど停車。
休憩中の運転手さんからこの地域のお話をいろいろ伺いました。
北海道から来ると、とてもバス通りとは思えない細い道をのんびりと進みます。
道が細くて対向できないから待避所まであるし。
トンネルも狭い(゜▽゜*)
小俣宿~小俣峠~中継
小俣宿にある「日本国麓郵便局」前バス停にひとり降り立つ。
長丁場だけに、いよいよ始まるんだと思うと期待と不安が交錯。
でも、ちょっと興奮する瞬間です。
さて、参りますか!
約21キロ、今日のゴール地点の最終バス17:17までに歩き切ります!!
まずは、小俣宿の集落の中を進んで行きます。
瓦屋根のお屋敷(北海道民から見るとこれだけで異国の風情)が続きます。
小俣宿の集落を抜けると山道~宿場町~山道の繰り返し。
衛星写真で見るとこんな人気のないところばかり歩きます。
ちゃんと道があるんだろうな?とちょっと不安。
走る車も歩く人もいない「小俣峠」を登って行きます。
道路沿いはきちんと手入れがされているスギの造林地が続きます。
北海道では普段スギ林を見ることがないから、この木々が生えているだけで、山々の景色は道内のものとは全くの別物に見え、ほんと遠くに来たもんだと思います。
北海道とは林床の植生も異なるので、興味深く観察しながら小俣峠の頂上まで上がってきました。
中継の集落まではあと3キロ。
一つ目の峠の頂上に来ました。この先には何があるのだろう・・・。
交通の難所だったであろう場所には必ず祠があります。
ここに観音様がいらっしゃるのは必ず何らかの意味と信仰がある。
もちろん、しっかりと一礼して進みます。
この先に続く道が見下ろせる場所がありました。
沢の中をくねくねと進んでいくようです。
先が見えるとちょっとホッとします。
聞こえるのは風に草木がなびく音、川のせせらぎ、鳥たちのさえずり、そして私の熊鈴の音。
誰とも会わない山道を進みます。
峠を下りると中継の集落を護る神社がありました。
綺麗に手入れがなされ、この集落の皆さんの大切な場所なのがわかります。
境内からは守護する集落が見渡せます。
中継~カリヤス峠~荒川
心細く不安な気分になりながら山道を抜け、見えてきた集落に、ほんとホッとします。
集落の入口、出口では必ずお地蔵さんが見守ってくれています。
気持ちばかりのお賽銭を納めて一礼です。
中継の集落を抜けていきます。
桜が綺麗に咲いているお屋敷がありました。
由緒正しい春の光景に心が癒やされます。
集落を抜けるとまた山道へ入ります。
また無人峡に入るのかと思うと心拍数が上がります。
「カリヤス峠」の入口でお地蔵さんに安全祈願です。
祠もお地蔵さんもホント綺麗に手入れがされています。
きっと毎朝、近所の皆さんが掃除をし、手を合わせて大切にしているんだろうな。
ほんと、どこまでも、だれも歩いていない、車も走っていない道を進みます。
途中には祠がありました。
なんと書いてあるかは読めないけれど、ここにあるのは必ず何かその由来があるはず。
もちろん安全祈願して進みます。
立派なスギの造林地を進みます。
道路はほとんど車が走ることも無いようで、路面はすっかり落枝落葉に覆われています。
このままどんどん心細い道になっていくのでしょうか(;゜ロ゜)
空が開けてきたから峠の頂上が近いはず。
苔むしているとはいえ、人工構造物があると、ここはまだ人が居て良い場所(笑)と思えます。
カリヤス峠を2キロ登ってきた頂上。荒川の集落まではあと2.5キロ頑張ろう。
ゴールデンウイーク真っ盛りですが、「出羽街道を歩いてみよう!」っていう私みたいなことをしている人はいないのだろうか。
ほんと誰にも会わない( ̄。 ̄;)
カリヤス峠を抜けました!
荒川の集落はこっちですね。
荒川の集落の入口には先祖代々のお墓がありました。
決して失礼のないようにしっかりと手を合わせてから進みます。
荒川~雨坂峠~北黒川
小川のせせらぎを聴きながら歩いて行くとお屋敷が見えてきました。
倉があるお屋敷、背後に立派な杉林。北海道から来ると驚きの連続です。
荒川の集落ともお別れ。また、心細く峠に入ります。
天坂峠は約2キロ。センターラインがある舗装道路でした。
旧道が見えたので新道を外れて歩いてみました。
北黒川~北中~大毎~大沢
北黒川の集落、民家の桜の下に「盃を持ったその手でハンドル持つな」。
芭蕉が泊まったことがある北中の集落に入ってきた。
その祈念碑があるはずですが見落としたようです。
今回のコース上では一番大きい集落で、「どこから来たの?出羽街道歩いてるんかい?」っておばあさんに声をかけられ、「北海道から」って答えたら、「よくまあ来ましたね~」と驚かれました。
集落の出口の神社に一礼。
もう一つあったのでこちらも上がって行って一礼。
芭蕉が奥の細道を巡遊してちょうど300年を記念して作られた北中芭蕉公園へ。
かなり歩いてきたけど、あとまだ山道を10キロ・・・。
ちょうどお昼なのでコンビニで買ったおにぎりを頬張ります。
「さはらねば汲まれぬ月の清水かな」
この句の心を想いながら先へ進みます。
残り約10キロ。タイムリミットまで5時間を切りました。
大毎の集落にも立派なお屋敷が続いていました。
大毎の集落の出口のお地蔵さんに一礼。
旅人を要所要所で見守ってくれていることに感謝の気持ちが深まる思いです。
そしてまた森を通り抜けて、次の大沢の集落へ。
大沢~大沢峠~葡萄峠~葡萄
そして、大沢の集落の最後のお地蔵さんに安全祈願。
ここからは深い森に入るので、ほんとしっかりと手を合わせました。
この集落から先の大沢峠は、当時のままの山道として石畳の古道が続いている芭蕉も歩いた道。
これまでの車道歩きとは違い、ほんと不安になってきます。
この道は通り抜けられるのだろうか、熊は出てこないだろうか・・・。
気休めに、わざと熊鈴を大きく鳴らしながら進みます。
山賊が出てきそうな雰囲気の山道です。
土に埋もれて分かりにくいですが、足下には出羽街道が交通の要所だった時代に敷かれた石畳が続いています。
頭の中を芭蕉さんではなく、どこかで聴いたこんな歌がヘビロテします(^^ゞ
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いて行くんだしっかりと
自分の道をふみしめて♪
人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け♪
掘り割りが見えてきた、頂上だ!!
大沢峠を無事に抜け、本日最後の難所「葡萄峠」に入る入口には「漆山神社(矢葺明神)」の祠がありました。
康平年中、源頼義、義家父子が北狄征討の役を終えて凱旋帰路の折、当社に詣で、余剰の矢をもって社殿の屋根を葺いたので、矢葺明神と呼ばれているそうです。
残りは4キロ強。タイムリミットまでは3時間ありますが、しっかりお参りしてから進みました。
このまま誰とも会わずに出羽街道の古道歩きは終わるのだろうか・・・。
砂利道から舗装に変わると集落が近いのを感じてホッとします。
葡萄峠の頂上まで来た~\(^O^)/
残り2キロ、タイムリミットまではあと2時間少々あるから大丈夫、頑張る。
葡萄の集落が見えてきた。
なんかホッとして涙が出そう。
芭蕉が歩いた時代は、苦労して峠を越え、宿場町が見えたときの安堵感はどれほどのものだったかと思いを馳せます。
いい道になってきた。ゴールはもうすぐ。
葡萄~村上駅~勝木駅~道の駅あつみ
本日のゴール「葡萄入口バス停」に着きました\(^O^)/
朝9時に小俣宿の集落をスタートし、16時半まで歩き続けた7時間半の道程。
ほんとよく歩いたわ。
最終バスは17:17。
さすがにへたり込んで(笑)バスが来るまで50分ほど休憩です。
1時間弱バスにゆられてJR村上駅到着。
ここから羽越本線を北上し、今朝エブリイを停めた勝木駅へ戻ります。
お腹はぺこぺこ。列車までは50分ほどあったので唯一営業していた中華食堂でラーメンをガツガツと食べました。
村上駅から勝木駅までは約50分の旅です。
GV-E400系気動車キタ――(゚∀゚)――!!
昭和50年代から平成を駆け抜けたキハ40系気動車の後継として令和に導入された新型車。
ディーゼルエンジンで発電して、モーターで走る電気式気動車です。
初乗車にちょっと興奮(笑)
まだ運転があるからビールは飲めないけど、それでも歩き疲れで眠り込みそう。
乗り越し注意です(笑)。
19:41下車。今朝の勝木駅に戻ってきました。
留守番していたエブリイと12時間ぶりに無事再会(笑)
大汗かいた1日、まずは温泉に入りたい。
駅近くにある勝木ゆり花温泉で露天風呂に沈み込みました~。
さすがに夕食を作る元気は残っていないので、セブンイレブンで買ったホルモンと餃子、そして先日の強烈なネギキムチですませます。
エチゴビール・スタウトの深い味を身体にしみこませながら、今日一日を振り返り。
現代の道を歩いていても集落を抜け、不安な気持ちで山道へ、そしてまた次の集落へたどりついてホッとすることの繰り返し。
奥深い森の中をひたすら歩くしかなかった芭蕉の生きた時代、その不安感はいかほどだったろうか、そして峠から次の宿場町が見えてきたときの安堵感も。
そんな中で心を動かした出来事を詠み、奥の細道に記していったのかと思うと、300年以上前の旅の記録への興味がますます深まりました。
今日一日、いろいろな光景に五感で触れながら歩いてみて、芭蕉は苦労してたどり着いた行く先々で景色を眺め、集落で人々の心に触れ、どのような思いを巡らせ、句を詠んだのだろうかと、疲労感で遠のき気味の意識の中で奥の細道で読んだ一句一句を思い浮かべながら、いろいろ考えていました。
もちろん私の少ない語彙では、ここに言葉にすることはできませんが、イマジネーションが相当揺さぶられるのを感じました。
きっとこれらは、私のこれからの人生の旅路にいろいろな影響を与えるものとなる気がしています。
車で走り抜けただけでは感じられないこの空気、歩いたからこそ感じられたこの空気。
次の旅への新たな始まりを感じた貴重な1日となりました。
いや~ひどく疲れたけど、満足感でいっぱいで眠りに就きました。
つづく